高分子医薬を脳に届ける技術

雑感、その他

アルツハイマー型認知症に対するレカネマブなど、脳の病気に関係する抗体医薬が目立つようになってきました。しかし、静脈から点滴で投与した抗体医薬の分量の約0.1%から0.5%しか、脳に入っていかないそうです。これって逆に言えば、脳に対する抗体医薬は、通常の数十倍の分量の抗体医薬を投与しなくてはならない、ということで、「薬漬けにする」って言われても仕方がないですよね。全身性の副作用や薬価コストが心配です。今回のテーマ「高分子医薬を脳に届ける技術」は、その問題を解決する手段です。

それにしても、新薬の発表って、この問題をどうして取り上げないのでしょうか。新薬にどういう課題がある、とか、ネガティブなことはほとんど言われません。その後、その課題を解決した時の発表で、今までこういう課題がありました、と、後から課題が表に出てくる。専門家にとってはそういう課題があることは常識なのでしょうが、一般の人にとっては、後出しジャンケンのようで、気分の良いものではありません。私はそのギャップを少しでも埋められたら、と、思う今日この頃です。

さて、がんに対する分子標的薬で有名になった抗体医薬ですが、それを脳に適用しようとする試みが多くなってきています。抗体薬は高分子医薬ですが、脳の毛細血管の血管壁には隙間がない(これを血液脳関門(Blood Brain Barrier:BBB))と言います)ので、脳の組織へは入っていける分量はとても僅かです。その問題を解決する技術について調べてみました。いくつか日本で研究されていますので、ご紹介したいと思います。

血液脳関門は、高分子(タンパク質等)を選択的に脳組織に送り込む仕組みを持っています。それは、血管壁の細胞の細胞膜にある「受容体(レセプター)」という、細胞膜に取り付けられた「門」です。高分子医薬を脳に届ける技術で最も利用されているのがトランスフェリン受容体という「門」です。血液には、肝臓で作られた、トランスフェリン(鉄分とタンパク質の複合体)という、鉄分の運搬物質が流れています。この門は、そのトランスフェリンを脳の組織に送り込むための門です。鉄分は通常の細胞でも必要ですが、脳の神経伝達物質の合成にも必要な成分です。「門」の口には鍵穴状の形があって、トランスフェリンの立体構造と、この「門」の形状が、鍵が合うかのように合致すれば、この「門」を通過することができます。このような受容体は、トランスフェリン受容体の他、インスリン受容体も有名です。「門」には、これらの受容体の他、低分子を選択的に通す「トランスポーター」もあります。トランスポーターは、脳組織から脳の毛細血管内に脳内の老廃物を排出する機能もあります。グルコーストランスポーター(GLUT1)やアミノ酸トランスポーター(LAT1)が有名です。

  図は、資料(5)からの引用。グルコース、アミノ酸は「トランスポーター」。トランスフェリンやインスリンは、受容体(レセプター)を通して脳組織に届けられる。

高分子医薬を脳に届ける技術は、トランスフェリンやグルコースであるかのように、医薬品、あるいは医薬品を包む物質に、ある修飾を施すことにより、その修飾された医薬品、あるいは医薬品を包む物質が、トランスフェリンやグルコースであると、その「門」に誤って判断させて、修飾された医薬品を、その「門」から脳組織内に通過させるのが、この技術の本質です。

以下、日本で開発中の、3つの技術をご紹介します。

  1. JCRファーマ社による「J-Brain Cargo®」。今これが最も先行しています。これは、トランスフェリン受容体に適合する抗体を、薬剤に化学的に結合(医薬品への修飾)し、血管壁にあるトランスフェリン受容体から脳内に薬剤を送り込む方法をとっています。現在、ライソゾーム病の薬剤への応用が進展(第3相)しています。
  2. JCRファーマ社 & ペプチドリーム社。トランスフェリン受容体に適合する特殊環状ペプチドを、薬剤に化学的に結合し、血管壁にある受容体から脳内に薬剤を送り込む。ペプチドリーム社は、特殊環状ペプチドを提供する会社。特殊環状ペプチドは、抗体よりもかなり分子量が小さく、抗体並みの活性や基質特異性を持っています。
  3. ブレイゾン・セラピューティクス社による「Brain Access®」。グルコース修飾した高分子ナノミセルの中に薬剤を封入し、血管壁にあるグルコーストランスポーター1から脳内に薬剤を送り込む方法をとっています。「ナノマシン」とか「スマートナノマシン」とも、呼ばれています。また、高分子ナノミセルにトランスフェリン受容体結合分子を修飾し、トランスフェリン受容体から脳内に薬剤を送り込む方法にも拡大展開しています。

海外の動向に関しては、参考資料(2)が詳しいです。

トランスフェリン受容体に適合する、抗体や特殊環状ペプチドを使用する方法は、それらに化学的に結合できる医薬品にしか応用できない、という制約があります。しかし、ナノミセルを使用する方法は、ナノミセルの中に、低分子医薬や、mRNAや、核酸医薬、抗体医薬など、さまざまな医薬品を入れることができるので、応用範囲が広く、今後の進展が期待できそうです。

さて、ここま色々調べてみましたが、血液脳関門を通りやすくする技術が開発されたとしても、透過率が、0.1%から6%程度になるだけです。薬価が単純計算で60分の1になるのはありがたいのですが、トランスフェリン受容体などは、血液脳関門だけにあるわけではなく、全身の普通の細胞にもあります。ですので、薬を脳にだけ届ける方法ではありません。それに近い方法として脊髄内に投与する方法も開発されていますが、脊髄注射はお医者様、患者様、双方にとってリスクのある方法ですので、できれば、それも避けたい。

私見ですが、脳の神経細胞だけに選択的に効く薬(例えば、脳神経細胞に特異的に存在するmiRNAに反応するmRNA医薬)を、ブレイゾン・セラピューティクス社が開発したナノミセルに包んで静脈に点滴あるいは注射するような薬の登場というシーンも、今後、登場してくるのではないでしょうか。安くて、脳にだけ効き、重篤な副作用のない、そんな薬の登場を、期待しています。

<参考資料>
(1)「血液脳関門通過技術」 JSTAGE 2016年
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/52/11/52_1051/_pdf
(2)「血液脳関門を越える医薬品の開発」 ARC Watching 2019年
 https://arc.asahi-kasei.co.jp/member/watching/pdf/w_296-02.pdf
(3)「低用量抗体医薬によるアルツハイマー型認知症の治療を可能にするスマートナノマシンの分子設計」 2020年5月21日
 https://www.amed.go.jp/news/release_20200521-03.html
(4)「抗認知症薬を脳内に届ける「ナノマシン」を開発 2020年5月27日
 https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00004/052600180/
(5)ブレイゾン・セラピューティクスへのインタビュー記事 2021年9月24日
 https://braizon.com/news/20210929/

コメント

タイトルとURLをコピーしました