「DNAを切断する」について

雑感、その他

ゲノム編集の説明で、『狙った箇所で、DNAを切断します』と、説明すると、「荒っぽい手法であり、安心できない。」とおっしゃる人がおられます。

『DNAを切断する』と聞くと、まるで自分の手や足がノコギリで切られるように感じて、怖い、と思う気持ちは、よくわかります。細胞の中のDNAは目に見えないし、不安になるのが普通だと思います。目に見えないことに対する「不安」と言うのは、とても自然な心理だと思います。また、昔から親しんできたことの方が「安心」するので、新しい技術に対する「不安」というのも、私はよくわかります。

一方、ライフサイエンスの科学者は、DNAは、細胞内にある活性酸素などによって頻繁に破損され、そのたびに、DNA修復酵素によって修復されていることを知っています。修復に失敗すれば、DNAの、遺伝子ではない箇所が変異したり、DNAの遺伝子に小さな変異が発生したり、そういったDNA変異が問題なるほどの程度になれば、その細胞は、老化細胞になったり、変異による問題が大きければアポトーシスしたり、まれに癌細胞になったとしても、その細胞は、免疫細胞に殺される。科学者のまぶたの裏では、そういったDNAのダイナミックに変化する様子が、まるで映画を見ているように、リアルな映像が繰り広げられます。(ちなみに、細胞の中で、ミトコンドリアが働いてATPを作っている限り、細胞から活性酸素をなくすことはできません。これは真核細胞生物の宿命です。)

あるいは、ライフサイエンスの科学者は、実験で、制限酵素を使ってDNAを切断したりしていて、DNAを切断することが身近になり、そんなこんなで、「DNAを切断する」ということ自体に「不安」がなく、「慣れ」といった状況が発生しています。

こういった背景があって、いつの間にか、ライフサイエンスの科学者と、ごく普通の人の間に、大きなギャップが生まれるのだと思います。

このようなギャップを埋めるのが、私のようなサイエンスコミュニケーターの役割なのですが、さて、どうすればいいのでしょうね?

ライフサイエンスの科学者のまぶたの裏に浮かんでいる映像をCGにしてYoutubeに流しても、『それって本当なの?』と言う反応になるだろうし。電子顕微鏡で、Live Imagingで見ようとしても、細胞に電子を当てれば、細胞は死んじゃうし。原子間力顕微鏡にエールを送る、これしかないのかなあ。

そんなことを考えている、今日この頃なのでした。

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