細胞の新たな選別方法 – RNAスイッチ

雑感、その他

先日、「RNAスイッチ」(注1)について勉強しましたので、今回はそれをテーマにしたいと思います。以下は、私が勉強した内容です(間違っている箇所があったらごめんなさい)。

<1>背景
 ライフサイエンスのシーンでは、細胞を識別したり、選別したり、分離したりすることが実に多いですね。例えば、シャーレの中にある細胞に遺伝子を導入したり、皮膚の細胞をiPS細胞に初期化しても、シャーレの中の全ての細胞に遺伝子を導入できたり、シャーレの中の全ての細胞をiPS細胞に初期化できたりすることは、不可能と言ってもいいと思います。ですので、うまくいかなかった細胞を除外して、うまくいった細胞のみにする「純化」という作業が必ず伴うことになります。これは、化学プラントにおける精製(混合物を純物質にする工程)に似ていると思います。

細胞の「純化」の従来の方法としては、細胞膜に発現している膜タンパク質(抗原)を目印とし、その抗原に抗体蛍光色素をくっつけて、フローサイトメーターでレーザー光によって光らせて目的細胞を識別し、その細胞の液滴を帯電させ、電極で引っ張って分離する、あるいは、細胞の抗原に抗体磁気ビーズをくっつけて磁石で引っ張って分離していました。(なお、分離後、細胞にくっついた抗体蛍光色素や磁気ビーズを、どういう方法で剥がすのか、私にはわかりません。)
しかし、細胞種を区別できるような特徴のある膜タンパクが発現していない場合、これらの方法では分離や選別ができない、という大きな問題がありました。

一方、mRNA(メッセンジャーRNA)医薬の研究が進み、特定の標的細胞で薬効を発揮させたいので、標的細胞を識別する(細胞選択的な)方法を検討する必要が出てきています(参考文献A〜D)。mRNA医薬は、感染症対策ワクチンや、がんワクチンのほか、再生医療でも注目されています(参考文献D)。

<2>細胞の新たな選別方法
 そういった背景があって、今、細胞の新たな選別方法として、「RNAスイッチ」が有望視されています。それは、細胞内にどのようなmiRNA(マイクロRNA)が有るか、無いかによって、細胞を識別し、それによって細胞内で特定のタンパク質を発現させたり、発現させなかったりするような人工mRNAを使います。そのようなタンパク質としては、蛍光タンパク質、膜タンパク質、アポトーシス誘導タンパク質、成長因子、転写因子、ある種の酵素、Casタンパク、など、さまざまなタンパク質が考えられます。mRNA医薬の場合、これらのタンパク質は、いわゆる「薬」に相当します。つまり、「薬」を外部から投与するのではなく、細胞の中で「薬」を作らせる、という方法になります。

この図は、最も簡単な人工mRNAです。細胞内で、「miRNAの相補配列」に合致するマイクロRNA(miRNA)がくっ付かなければ、細胞内にあるリボソームによって、タンパク質のコードが翻訳され、タンパク質が作られます(人工mRNA ON状態)。「miRNAの相補配列」に合致するmiRNAがくっ付けば、タンパク質の翻訳が阻止されます(人工mRNA OFF状態)。

(例1):細胞内にmiR-21が無ければ、その細胞を蛍光発色させる。
(方法):『miR-21の相補配列と、蛍光タンパクのコードを含む人工mRNA』を作成し、それを細胞内に送り込む。

 (補足)”miR-21”は、miRNAの種類を表す、miRNAの名前です。

また、以下の例のように、特定のmiRNAがあればタンパク質への翻訳が実行されるような人工mRNAを作ることもできます。この方法は、将来的には、がんに特有のmiRNAを目印にして、がん細胞だけを死滅させるmRNA医薬、といった応用が期待できそうです。

  (例2):細胞内にがんに特有のmiRNAがあれば、その細胞を死(アポトーシス)に導く。
  (方法):『がんに特有のmiRNAの相補配列と、アポトーシスに導くタンパク質のコードを含む人工mRNA』を作成し、それを細胞内に送り込む。

このように、細胞内にどのようなmiRNAが有るか無いかを検知して、特定のタンパク質を発現したりしなかったりするような人工mRNAを作ることができるそうです。また、細胞内に、ある特定のタンパク質が有るか無いかを検知して、人工mRNAからタンパク質を発現したりしなかったりするような人工mRNAを作ることも、できるそうです。これらの人工のmRNAは、mRNAスイッチと呼ばれています(参考文献(19)の「7. 用語説明」の、「注2)mRNAスイッチ」を、参照)。

また、細胞内にある複数の種類のmiRNAに関して、それぞれのmiRNAが有る、無いの組み合わせ条件によって、特定のタンパク質を発現したりしなかったりすることもできるそうです(参考文献(11))。

  (例3):細胞内にmiR-21とmiR302aの両方がある場合、その細胞を死(アポトーシス)に導く。

このように、細胞内に存在するmiRNAの有無によって、細胞内でタンパク質を発現させたり、発現させなかったりする様子がまるで、論理演算素子を組み合わせて作る論理演算回路のようですので、このようなmRNAスイッチの組み合わせは、人工RNA論理回路と呼ばれています(参考文献(11))。

なお、このようなスイッチの働きを持つ人工mRNAを、環状に作ることにより、mRNAの不安定さの問題を克服したものも登場してきています(参考文献(18))。これはもはや「mRNAスイッチ」とは言いにくいので、このような環状RNAスイッチも含めて「RNA スイッチ」(注1)と呼ばれています(参考文献(18))。

<3>「RNAスイッチ」の利点
 このような「RNAスイッチ」による細胞の選別方法は、以下の利点があります。

(1)細胞の内部の状況で、細胞を選別することができるので、膜タンパク質に特徴がない細胞も選別できる。
(2)細胞内に投与したmRNAは不安定なので、時間が経つと分解されて無くなり、安全である(臨床応用可能である)。
(3)ゲノムへの挿入など、染色体DNAを傷つけることがないので安全である。
(4)大量の細胞集団に対して、迅速に純化することができる(フローサイトメーターを使うよりも処理効率が良い)。
(5)フローサイトメーターを使うよりも、細胞への負担が少ない。
(6)複数のmiRNAのある無しの組み合わせ条件を判断材料にすることができるので、さまざまな細胞の状態でのタンパク質発現を設計することができる。
(7)関係のない細胞に薬効が働いてしまうことがないので、薬による副作用を抑えることが期待できる。
(8)人工mRNAからのタンパク質の発現を観察することによって、細胞内におけるmiRNAの発現状況を類推することができる。

<4>私の感想
 人工RNA論理回路は、コンピュータの論理回路にたとえられたり、細胞プログラミングとか、言われたりしていますが、コンピュータのソフトウエアエンジニアであった私にとっては、なんとなく、違和感があります。私は、回路というよりは、むしろ、組み合わせ条件だと思うし、また、細胞内の液体の中での化学反応ですので、反応釜の中で複雑な化学反応が起こることに近いように感じます。タンパク質の発現条件を設計することができる、という意味では「プログラミング」と言えなくもないですが。。。

私は、高校時代に生物部に所属し、将来は、その道に進もうと思っていたのですが、生物の授業で、「クエン酸回路」が難しすぎて挫折し、結局コンピュータソフトウェアの道に進んだのであります。そんな私ですので、ライフサイエンスにおける「回路」というものに、アレルギーがあるのかもしれません(笑)。

ところで、細胞内の複数のmiRNAの状況に応じてタンパク質の発現を制御するとなると、今までの「機序」とは比べ物にならないくらい複雑な「機序」になるのではないでしょうか。また、細胞内の状況は、時々刻々と変化するでしょうし、その状況に対処するのは大変なことだと思います。

今のライフサイエンスでは、分子生物学はなくてはならないものになっています。その分子生物学は小さなものを対象にしてきました(ミクロ指向)。また、医薬品は、分子生物学に基づいた1つの機序をベースとした医薬品(単純系)が開発されてきましたが、今後は、小さなもの(細胞膜からの信号、転写因子の働き、miRNAによる調整など)が組み合わさった複雑系(マクロ指向)をベースとした医薬品の開発へと、時代は動いていくのかもしれませんね。複雑系を扱うには、スパコンによるシミュレーションや、複雑な現象を記述する数学、あるいはAIの活用などが必要になると思います。ソフトウエアエンジニアさん、出番ですよーーーー。

(注1)「RNA Switch™」は、(株)aceRNA Technologiesの商標です。   
  https://www.pref.kyoto.jp/sangyo-sien/company/acerna.html

<参考文献>
(A)mRNA 医薬開発の世界的動向 2019年http://nats.kenkyuukai.jp/images/sys/information/20190717095649-6ABC2FA50410294C82EBEF7D74463510333BCF1FB717B3F864612BCB0CA9F6B2.pdf
(B)指定された期間・細胞種において選択的に薬効を 発揮する mRNA 医薬のための翻訳制御技術」 2022年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/dds/37/3/37_209/_pdf
(C)mRNA創薬の可能性は無限大 位髙啓史 2022年1月10日https://healthist.net/medicine/2235/
(D)【特集】mRNAを用いた組織再生医薬 2021年
https://www.nanocarrier.co.jp/special/【特集】mrnaを用いた組織再生医薬/

(1)タンパク質に応答して細胞の運命を制御するRNAスイッチを3Dデザイン法で作製 2012年11月6日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/121106-180018.html
(2)人工RNAスイッチの拡張技術開発に成功 遺伝子発現の次世代制御技術に向けて 2013年9月3日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/130903-181312.html
(3)標的細胞を認識・制御する機能性RNA-タンパク質ナノ構造体の構築とその一分子観察に成功 2014年8月19日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/140819-114824.html
(4)マイクロRNAをつかった細胞の選別方法の開発 ~高純度な心筋細胞の作製に成功~ 2015年5月22日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/150522-085314.html
(5)細胞の機能を精密に制御する人工回路をRNAで構築: ヒトの細胞で成功 2015年8月4日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/150804-110938.html
(6)合成RNAを利用した生細胞の高精度な同定と分離 2016年2月24日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/160224-100000.html
(7)細胞内のタンパク質を検出できる合成mRNAスイッチの開発: ヒトiPS細胞の識別に成功」2017年5月19日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/170519-210000.html
(8)細胞種に応じてゲノム編集を制御する技術を開発 2017年5月19日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/170519-210001.html
(9)RNAナノスイッチ:目的の細胞を安全・ 簡便・精密に同定・識別する新技術 2017年5月23日
https://www.shingi.jst.go.jp/pdf/2017/2017_kyoto-u_9.pdf
(10)細胞内でタンパク質を検出して運命制御できる「RNA ナノマシン」の構築 2017年9月15日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/170915-080000.html
(11)人工RNA論理回路で細胞の運命を制御する 2018年11月20日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/181120-000000.html
(12)マイクロRNA依存的に標的細胞ゲノムの編集を誘導するオンシステムを開発 2019年7月23日https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/190723-180000.html
(13)タンパク質を検出するする合成mRNAスイッチの拡張:より複雑な細胞操作に向けて 2019年12月17日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/research/finding/191217-100000.html
(14)合成mRNAスイッチの拡張:より複雑な細胞操作に向けて」 2019年12月17日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/research/finding/191217-100000.html
(15)合成メッセンジャーRNAからの遺伝子発現を人為的に制御できる 人工翻訳活性化タンパク質〝CaVT (カブト)〟の開発に成功 2020年3月11日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/200311-150000.html
(16)修飾塩基を含む合成メッセンジャーRNAからの遺伝子発現を 光により制御するシステムの開発に成功 2021年1月28日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/210128-003000.html
(17)2つの合成mRNAスイッチを活用した純度の高い細胞選別システムの開発 2022年1月6日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/220106-040000.html
(18)mRNA医薬の課題克服に向けた「環状RNAスイッチ」の開発 2023年 1月16日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/230116-090500.html
(19)mRNAスイッチを用いた哺乳類細胞内コンピューティングの基盤構築 2023年4月20日
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/230420-130000.html

<Youtube解説動画>
「第29回CiRAカフェ「iPS細胞とRNAがひらく未来の医療」 2021年12月18日
https://www.youtube.com/watch?v=kFSJo68iX-I
「KLSAP2022 株式会社aceRNA Technologies「RNAスイッチ技術を用いたスマートmRNA医薬品の開発」 2022年7月2日
https://www.youtube.com/watch?v=D9HFt45D20I

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